2017.04.07

“!”を近くの人から地球の裏側まで届けたい

橋本太一郎(No,No,Yes!代表・デザイナー)

ヴィンテージやミリタリーウェアを探求していく中で、レザー(革)に今後の可能性を感じ、以来、探究を続けているレザーブランド「No,No,Yes!(ノーノーイエス)」の橋本太一郎氏。様々な職務を経験していく中で、ある日偶然に出会った革の魅力に憑りつかれるように追及し続けている、そのライフスタイルも興味深い。フルオーダーメイドで、クライアントの身にも心にもフィットした製品創りをしている彼は、どのような信念を持ちモノづくりをしているのか。日々探求と挑戦をたゆまない橋本氏に話を訊いた。

「レザーに関してはまだまだ加工も含め、やれていないフロンティアがあるはず」

—まずは、No,No,Yes!のそのユニークなブランド名の由来から教えて下さい。

橋本

最後に「!」(アテンション)がついているんですが、シンプルに言ってしまえば、世界にこの「!」を届けたいなと、このネーミングにしました。世界に届かせる為にも名前は覚えやすい方がいいだろうと、世界で最も知られている言葉は何かと考え、パッと浮かんだのが英語の「Yes」か「No」だったんです。「!」は感動や歓喜、驚きの意味を持たせています。

—No,No,Yes!のブランドコンセプトを教えて下さい。

橋本

驚きと発見に満ちた「!」ですね。

-レザー(革)に特化した製品ばかりですが、そこには何か理由でも?

橋本

レザーに関しては加工も含め、今後の余地や可能性がまだまだあるからです。僕はデニムからカットソー、上から下まで一通りつくることは経験してきたんですが、その中でもレザーが最も、まだやれる余地や進化、深化が残っているフロンティアだと思っています。

-ちなみに、橋本さんのここまでの経緯って?

橋本

大学1年の時に阪神淡路大震災で被災し、その際に大学を辞めて、そのまま地元のアパレルメーカーにもぐりこんだんです。当時震災の為にその会社に欠員が出たもので。そこはヤングからミセスまでを扱うレディースのメーカーでした。まずはそこのデザイナーから始めましたね。

-最初はレディースのデザイナーだったんですね?

橋本

そうなんです。赤文字系のブランドやミセス用のゴルフウェア、ラインストーンやスワロスキーを沢山つけた衣装のデザインもやったりしました。そこから自社で作って自自社の売り場で販売する、いわゆるSPAブームがやってくるんです。25歳ぐらいまではアパレルメーカーのデザイナーでしたね。デザイナーをやりたかったというよりかは、職業人的に生産アイデアや技術を働きながら会得したいという方が強かったです。

ではそこから転身して?

橋本

特に自分がレディースの服を着たかったわけでもないですからね(笑)。そんな中、古着やデッドストックを日本で一番輸入している商社が独自で店を出そうと画策してたんです。基本、古着やミリタリーってサイズが大きく、洗濯できるものが中心なんで、繊細な素材やトレンドものがまだなく。独自に店舗を出すにあたり、そこを担うべく、企画室長として入りました。とは言っても、実際には企画室どころか店も無い状態で。製造の背景づくりに、まずは1ヵ月ぐらい中国に渡ったんです。

-そこでよりリアルな製造知識を得たと。

橋本

それ以前から国内生産は一通り学んではいましたが、大ロットでの海外生産も良い経験になりました。そこから実際に300坪の店舗のプロデュースを任され、当時の主流に乗ったデザインが当たったんです。そこではたくさん商品を作っては大量に店舗で売る、というファストファッションの先駆けをやっていました。

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