2017.04.07

“!”を近くの人から地球の裏側まで届けたい

橋本太一郎(No,No,Yes!代表・デザイナー)

ヴィンテージやミリタリーウェアを探求していく中で、レザー(革)に今後の可能性を感じ、以来、探究を続けているレザーブランド「No,No,Yes!(ノーノーイエス)」の橋本太一郎氏。様々な職務を経験していく中で、ある日偶然に出会った革の魅力に憑りつかれるように追及し続けている、そのライフスタイルも興味深い。フルオーダーメイドで、クライアントの身にも心にもフィットした製品創りをしている彼は、どのような信念を持ちモノづくりをしているのか。日々探求と挑戦をたゆまない橋本氏に話を訊いた。

高いものでも良いものであればずっと大切にしてくれるはず(橋本)

-そこからいよいよ独立に?

橋本

その事業が店舗数や最終的に70人ぐらいにまでスタッフが増えたんです。最初は僕だけだったのが(笑)。5年ぐらいやってたかな。そこが分社化し、取締役をしながらバイヤー兼務してた時にアメリカにも頻繁に買い付けに行きました。まだ仕分けられていない古着の山の中から、たまたま1940年代のレザージャケットを見つけたんです。さすがに裏地はボロボロなんですけど、レザーの部分はそこまで劣化していなくて。仕立て屋さんが作っていたものだったんで、作りが凄く丁寧でしっかりしていたんですよね。大量生産時代以降のものとクオリティが全然違うし、凄く良い仕事をしていた。それに感動して「これは面白いぞ!」となったんです。

ー素材がレザーだっただけに年月が経っても、あまり劣化していなかったんですね。

橋本

そうなんです。たまたまその頃、値段の安さでの訴求に疑問を抱いていた時期でもあったし。「この仕事をこのまま続けていくべきなのかな…」って迷っていたところもあって。そんな中、ポートランドのラングリッツレザーズ社を見学に行ったときに、バイカ-向けのオーダーメイドをやっていたんです。バイクって命に係わる乗り物じゃないですか。高いものでも良いものであればずっと大切にしてくれそうだし、しかもオーダーメイドだから大量生産していない。その上、自分仕様なので、なおさら大切にしてくれる…。お客様と永く続く関係を築ける仕事をしたかったところもありましたので、その光景を見て「こういったスタイルであれば、続けて行けるんじゃないか」と思いました。

-元々レザーの知識は?

橋本

正直、あまりありませんでした。「はたしてレザーのアイテムってどうやって作るんだろう? 」と考えてた時期に、姫路では革製品が盛んということを知り、見に行きました。実際に見に行ったら革産業が若干斜陽化していたんです。現場を見ていると「これがこうだったらいいのにな… 」というアイデアがひらめいてきて。レザーって紀元前からある割には、そんなに進化してないんですよね。値段が高い分、手間暇もかけられる。これは色々と出来る余地や可能性があると思いました。独立したのはそこからです。

-そこからレザー加工の追求が始まったんですね。

橋本

そうです。まずは自分で縫ってみて、レザーの性質を徐々に覚えていきました。最初は自分の下宿の空きスペースで始めたんです。だけど、作業音がうるさかったらしく、1週間で終了させられちゃって(笑)。そこからは、歩いて5分のメリケン波止場(神戸港にある波止場)を作業場にしてました。

波止場がアトリエですか!?

橋本

防波堤で金槌や刃物を持ってレザーを加工してましたから、よく職務質問されました(笑)。その時に海外からの船の出入りを眺めていて、これまで自分の職種でやってこなかった「日本で作って海外で販売する」という目標が生まれ、それを実現してみたくなったんです。そこで今のブランド名が浮かびました。

<NEXT>吸引力があれば絶対に探してでも見つけ出してくれる(橋本)

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