2021.12.24

アートだからこそできる貧困問題解決へのアプローチ アートを通じて世界の「貧困」に立ち向かう

大嶋玄(GEN)

アートによって貧困問題の解決に取り組む「アート街プロジェクト」。そのプロジェクトを立ち上げた大嶋玄(GEN)は、世界各地へと赴き、現地の人とふれあいながら発展途上国にアートであふれる街をつくってきた。「アートは世界を救う」その言葉を実現するため、若くして世界の貧困問題に立ち向かう彼が確信する「アートの力」について迫った。

「自分が『すごい』と思われたくて絵を描いていただけで、鑑賞者のことを全く考えていなかった」

―玄(GEN)さんがアートに興味を持ったのはいつ頃でしたか?

玄(GEN)

幼い頃から絵を描くのが好きでしたね。子どもの頃、クラス内に落書きが上手な子っていたじゃないですか。僕はまさにそういう子どもでした。絵を描き続けて高校生になった頃、周囲の人に勧められてTシャツを作ったことがあるんです。それが想像以上に売れて、「将来Tシャツ屋になる」と決意するほど感激していたのですが、2枚めは驚くほど売れませんでした。なぜかというと、1枚めを買ってくれたのは僕と親交のある人ばかりだったから。みんな僕の友達という理由で1枚買ってくれただけで、デザインの良し悪しは全く関係がなかったんです。絵を描くのは好きだったけど、このことがきっかけで自分には絵の才能がないのだと悟りました。大学の進学を考えたときも、周囲は美術系の大学に行くと思っていたみたいでしたが、総合大学を受験することにしました。「なぜ美大に行かないのか」と訊かれたら、「才能のある奴はどこにいても花を開くんだ」と捨て台詞を吐いていましたね(笑)。

―挫折を経験したことで、アートとの付き合いに何か変化は?

玄(GEN)

総合大学に進学した後もアートは変わらず好きでした。大きく変わったのは、ヨーロッパへアートを鑑賞しに行ったときです。ダリやモネ、ピカソなどを観てもちろん感動したのですが、僕が一番衝撃を受けたのは、それらの絵を観ている人の姿でした。声を漏らしている人や涙を流している人がいて。アートというものは鑑賞者がいて初めて成立するのだとそのとき初めて理解しました。僕はずっと自分が「すごい」と思われたくて絵を描いていただけで、鑑賞者のことを全く考えていなかったんです。そのことに気がついて、自分にはアーティストとしての才能がないのだと思い、絵を描かなくなりました。

―アーティストとして矛盾した自分を感じたんですね。そこから今の道に進み始めたのはなぜですか?

玄(GEN)

当時の僕はアートの道で生きていくことをTシャツの件やヨーロッパでの件で自分にはアートの才能が無いことを感じて諦めつつあったので、銀行員志望として就職活動を開始する準備をしていましたが、アートを好きな気持ちは消えませんでした。これからは自分本位ではなく、「誰かのために存在するアート」をつくりたいと考えていたときに、ネパールの貧困地域を支援している方からネパールの現状について伺い、現地に向かうことになったんです。そこで見た光景はあまりにもひどいもので……。そこで自分のできることを考えたときに、「アートで救える命があるのかもしれない」と思い、アート活動を始めるようになりました。

―そのときのネパールの状況というのは?

玄(GEN)

お腹を空かせた子どもが空腹感を紛らわすためにシンナーを吸っているんです。道端にうずくまっている人たちもたくさんいましたね。その光景を見て、僕は驚いたり悲しんだりするより先に、「こんな社会はおかしい」と思いました。僕たちが生きている資本主義社会の犠牲になってこんなに苦しんでいる人がいるのだということに、やるせない気持ちになったんです。

―実際に現地でアート活動を続けることで、何か変化を感じたことはありますか?

玄(GEN)

「アートで世界を変えられるかもしれない」という漠然とした希望が確信に変わったのは、セブ島でした。バジャウ族という海の遊牧民が暮らす村でアート街プロジェクトを行ったとき、事前に村長と約束をしていたのですが、当日になってプロジェクトの進行途中で帰らされそうになったんです。ペンキを塗り、「これから絵を描くぞ」というところだったので、おそらくペンキ屋だと思われていました(笑)。「最後まで見てほしい」と頼み込み、全く歓迎されていない中でどうにか絵を描いていたら、徐々にバジャウ族の人たちが集まってきてくれて。絵が完成したときには拍手が起きたんです。それを見て、プロジェクトの期間中だけでは描ききれないほど多くの人が「ここにも描いてほしい」と希望してくれました。そのときにアートの持つ力を確信しましたね。

―それはアート街プロジェクトとして象徴的な出来事でしたね。

玄(GEN)

セブ島には日本の方もいるので、最初は日本の方やその知り合いの方たちが来てくれることが多かったんです。でも、徐々にアート街自体に興味を持って来てくれる人が増えてきました。そうすると、街の宿に泊まる人やお土産を買う人、食事をする人が増えて、街にお金が入るようになるわけです。今すぐに貧困問題が解消されるわけではないけど、確実に街に潤いを与えることができるんですよ。貧困地域の経済の活性化に貢献しているという手応えを感じています。
 

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