2017.09.28

「ネコの人」でいる覚悟

フクモトエミ(グラフィックデザイナー・イラストレーター)

エミネコというキャラクターを生み出し展開していく一方で、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして音楽関係の仕事を中心に活動するフクモトエミ。
そんな彼女が2017年9月26日(火)〜10月9日(月祝)にLUCKAND-Gallery Cafe&Bar-にて「フクモトエミ作品展『ネコと泳ぐ』」を開催する。自らの代名詞とでもいうネコを据え、写真にイラストを載せた新作を展示するその内容は、デザイナーとしての視点も持ち合わせ、創作活動に様々な手法を取り入れるフクモトエミならではの展示となっている。
イラストレーター、デザイナー、フォトグラファーなどと多面的な顔を持ちながら、エミネコというキャラクターを確立していく彼女のバックグラウンドと歩んできた道を探るべく、インタビューを敢行した。

「デザインもイラストも、元々は偶発的なきっかけでやるようになった」

フクモトエミ作品展「ネコと泳ぐ」メインビジュアル

—イラストレーション、デザイン、写真など、元々は何から始められたんですか?

フクモトエミ(以下、フクモト)

大学は普通の文系で、受験する頃はデザインが何かとかも分かってないし、絵を仕事にするなんてことは全く頭になかったです。でも、高校生の時に何となく何かをつくりたい、みたいな気持ちは漠然とあって、メディア系の勉強ができる東洋大学社会学部に入学しました。そこで課外活動として写真研究会に入りたかったんですけど、私はその時全くのド素人だったので、経験者しか入れないと断られたんです(笑)。そこで、写真で作品を作ってもいいと言ってくれた映像サークルに入りました。

—では写真が専門なところで始めたわけではないんですね。

フクモト

そうなんです。写真専門のところでやれなかったから、写真ができて入ることのできるサークルに入った、ということですね。

—そこではデザインやイラストは結びついてくるんですか?

フクモト

イラストは後なんですが、デザインはその映像サークルで先輩がイラストレーターやフォトショップなどの基本的な使い方を教えてくれて。あるイベントでフライヤーを作る人を探していて私がやることになりました。それが初めてのデザインという経験でした。

—イラストを描き始めたのはまた違ったきっかけなんですか?

フクモト

はい。そんなサークル活動をやっていく中で周りでは就職活動が始まった頃、私がやりたいと思ったのはデザインをちゃんと学びたいということだったんです。それで大学4年の時、ダブルスクールで桑沢デザイン研究所に入学して、夜間のビジュアルデザイン専攻のクラスでデザインの勉強を始めました。2年目で専門的な分野を学ぶ段階になって写真の授業をとりたかったんですが、20名しか入れない授業に抽選で落ちてしまって(笑)、イラストのクラスになってしまったんです。

フクモトエミ

—なるほど。そこでイラストを学んだんですね。

フクモト

その時はイラストで勝負できるとは思っていなかったので、最初は絶望しかなかったです(笑)。だけどそのことをお世話になっていた先生に話したら、将来的に例えばデザインのラフを描くにも、何かを伝える上でイラストは描けたほうがいいよと言われたんです。私もいろいろ学ぶにつれて、それを痛感する場面が多くあったので、段々イラストの授業が楽しくなっていきました。

—では桑沢デザイン研究所を卒業するタイミングで就活を?

フクモト

デザイナーとして広告制作会社とかデザイン事務所に入るには経験者採用も多く、新卒採用の間口が狭いのでそういうところはほとんど諦めていました。だからそういうところではない会社の中でデザインの仕事をして経験を積み、そこから転職しようと思っていたんです。そこで飲食関係のある会社に入ったんですが、デザインの仕事がほとんどできず十ヶ月で辞めちゃったんです。その後精神的にも落ち込み、何もしていないブランクが少しあって……。このままデザインやモノづくりが嫌いになるとやだなと思っていた時期でした。

—そうだったんですね。

フクモト

そんな時にSuck a Stew Dryに出会ったんです(※その後、フクモトがデザインの仕事で大きく関わることになる五人組ロックバンド。現在「THURSDAY’S YOUTH」と改名し活動中)。私は昔からCDジャケットが好きで、ずっとCDを買って集めていたんですけど、経験の浅い自分でも関わることができそうな若手のアーティストを探していたんです。そうしたら、ロッキング・オンが開催している「RO69JACK」というコンテストで、Suck a Stew Dryの”Apathy”という曲を聴いてとても良かったので、すぐに創らせてもらえないかと連絡をしてみたんです。音楽は元からよく聴いていたのですが、ライブハウスに行くようになったのはそれからでした。

—なるほど。じゃあSuck a Stew Dryとの出会いによって、そういったシーンに導かれていった感じですね。

フクモト

そうですね。同じような時に、ツイッターでindigo la Endの川谷絵音くんがイベントのフライヤーを創ってくれる人を探していて、そこでやりたいです、と連絡したのをきっかけにindigo la Endのジャケットデザインもやるようになりました。両バンドともまだ事務所にも所属してないような、初期の時でしたね。段々そうやって動き出していた頃に、自分もちゃんとデザイナーとしての経験を積まなければと思い、人づての紹介でパブロプロダクションという広告制作会社に入社しました。

—そこでのメインの仕事は?

フクモト

一応経験者として採用されたので、最初はアシスタントとしてですけど、デザインの仕事でしたね。初日から徹夜でめちゃくちゃ忙しい会社でした。もちろん、自分の力が未熟だからなんですけど、怒られまくって、だけど学びながら仕事をさせてもらえたありがたい環境でした。

—そういえば私は空の写真を撮るフォトグラファーのHABUさんが好きで、偶然フクモトさんの名前を見たんですけど、写真集のデザインをされていましたよね?

フクモト

はい。私がこの会社で初めてもらった、自分の仕事といえる案件でした。

HABU写真集 / 空を見上げよう(デザイン・装丁:フクモトエミ)

—その会社ではどのくらい仕事をしたんですか?

フクモト

そこでは2年やりました。1年はアートディレクターについていたのですが、残り1年は自分がチームを持って表に立つようになりました。

—その頃、先に上がったバンドのデザイン仕事はしていたんですか?

フクモト

はい、やっていました。ただ段々頂く仕事が増えていく中で、これは両立できないなと。自分の力でどれくらいできるかも試してみたかったし、フリーでやっていく決断をしました。

—その時何歳ぐらい?

フクモト

26歳の時ですね。

 

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