2019.12.03

“楽しい”という初期衝動 それがモノ創りの絶対的原動力

HIDDY(SECRET BASE ディレクター)

アンダーグラウンドからハイエンドまで、独自の視点で選び抜かれた様々なアーティストやブランドとのコラボ作品を共同制作し、世界中で高い評価を集めるトイブランド「SECRET BASE(シークレットベース)」。狂乱の裏原宿ムーブメントの真っ只中、サッカー漬けの青春を送った体育会系青年がわずか23歳でショップオーナーへ転身。中国生産が主流の今、あえてオープン当時から現在に至るまで、MADE IN JAPANにこだわって生み出されるプロダクトと、それを生み出す生産背景が抱える問題。そして見出す新たな活路。ディレクターのHIDDY氏がいま考える”モノ創りの姿勢”とは。原宿から世界へ、小さな秘密基地が発信するジャパンカルチャーの最前線に迫る。

「『もっとオモチャを勉強しなくちゃいけない』。そう思うようになったんですよね」

—通常、ブランドの公式サイトにはディレクターのプロフィールなんかも記載されているものですが、SECRET BASEには見当たりません。なので、経歴から改めてお聞きします。

HIDDY

学生時代はずっとサッカー漬けで、上京して入学したのが日本体育大学でした。その頃はサッカー選手か体育教師になれればなぁと漫然とした未来を思い描いていたんですが、いざ入学してみたら当然ながら上には上がいて。しかもそんな子らもオリンピック候補に全く引っかかりもしないっていう現実に打ちのめされてしまっていたある日、近いからということでたまたま訪れた原宿で出会ったのが、ZAAP!というUSトイを扱っているオモチャ屋でした。

—失意のどん底からの偶然の出会いが、のちの運命を変えていくわけですね。

HIDDY

ですね。そこからどっぷりハマって通うようになり、仲良くなったスタッフさんが辞めるからってことで紹介してもらって働き出したのが1997年〜98年。そのスタッフさんというのが現・MEDICOM TOY 取締役の岡さんです。当時はBOUNTY HUNTERのHIKARUさんなんかも通うようなお店だったので、そこで一気に交友関係が広がっていきました。

—BUDDYの望月さんや今回撮影で使わせて頂いたヨゴロウさん然り、ジャンルレスで広い交友関係の原点がすでにこの頃から培われていたと。

HIDDY

で、3〜4年間働いた頃にZAAP!が閉店することに。そのことを岡さんに報告し「だったら自分で店をやった方がいいよ」と背中を押され、HIKARUさんに秘密基地を意味する“SECRET BASE”という名前をつけてもらい独立したのが23歳。そこから店作りを始めていきます。

—開店準備において、23歳という若さもあり困難な点もあったのでは?

HIDDY

当時の原宿の不動産屋さんがどこもメチャクチャ偉そうで、正面から訪ねても全くの門前払い。で、どうにか借りられた最初の物件が路地裏にあるビルの3階なのに、家賃は月額70万円ですよ!? 開店資金として友人のお父さんが口約束で3000万円借してくれて、内装業者も周りの友人に紹介してもらい、オープンしたのが2001年。毎週300人〜500人の行列続きで、当時の1日の最高売り上げは約1800万円! すぐに借金も返済出来たし、当時は裏原宿ブームが一生続くと誰もが信じていた時代。今思うと本当に竜宮城で過ごしていたような感覚でしたね。

—その後、オリジナルトイも誕生しますが、そのキッカケは?

HIDDY

雑誌の連載なんかも持たせてもらい、シーンの先頭を走っていたHIKARUさんら先輩に囲まれている中で「もっとオモチャを勉強しなくちゃいけない」。そう思うようになったんですよね。で、その結果、誕生した最初のオリジナルトイ「SKULL BEE」がまたヒット! そこから格闘技をモチーフにしたシリーズを展開していくんですが、オリジナルソフビ・ブームでマネする子らも増えてきたこともあって、一度オリジナルトイを休止状態に。代わりとなる何か違うものをと考えていた時に“キャラクターのライセンスを取ってオモチャを作る”というアイデアが生まれました。

—最初は映画『Super Size Me』のドナルド風キャラからでしたよね。

HIDDY

あれは、知り合いがストリートフィギュアを集めたショップをニューヨークのブルックリンにオープンさせた際に、取り扱っているのを知ってすぐに連絡を取ったところ、ロン・イングリッシュというアーティストの作品だと教えてもらって即渡米。で、ニューヨークで本人に会った際に見せてもらったのが、あのドナルド風キャラからガイコツが見えている絵。どうせならそのガイコツをフィギュアの中に入れてみようと立体化したら、あっちもテンションが上がっちゃって(笑)。それが2007年かな。そこから“インナースカル”はウチの定番手法になりました。

 

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