2018.07.18

工場どうしの共創

凛として時雨「ペンタゴントートバッグ」工場レポート

理想的に物事を運ぶために、時にリレーションはとても重要となってくる。例え自分独りで手に負えない事案も、他からの援助や分業をすることで、これまで越えることの出来なかった難題もクリアできることも多い。ことモノづくりに於いてもそれは当てはまる。理想を具現化させる為に、適宜に各所の特性を最大限に活かしてもらい、それらを合わせることで一つのモノを完成に至らしめることも可能だ。
今回制作工程を紹介する、凛として時雨のツアーグッズである『ペンタゴントートバッグ』も然りであった。オリジナルの五角形のトートバックという、これまで例を見ないこの形成は、とても一社で賄えるものではなかった。裁断された生地をプリント工場に入れ、まずはプリントを施し、そのプリントされた生地を次は縫製工場に入れ、縫い合わせ、五角形のバッグに仕上げるといった工程が必要であった。結果、この逸品は、細密なプリントを得意とする関東の工場、縫製を得意とする九州の工場どうしの共創(リレーション)なくして生まれることはなかったのだ。
今回は、上述の『ペンタゴントートバック』の製作現場に潜入してきた。

縫製工場インタビュー「メイドインジャパンである意味(りゆう)」

ここでは、先程の九州の縫製工場の入江社長と、企画部長西川さんに話を伺いました。

入江社長(左) 西川企画部長(右)

━元々この工場は今のような縫製を主業とされていたのですか?

入江

実は創業時(昭和47年)は衣類雑貨類をオーダーメイドで作ることを生業としていたんです。当時は自社で縫製とプリントを同時に対応できる工場も少なく大変重宝してもらっていました。

━当時は主にどのようなお仕事を?

入江

アパレルブランドの製品をプリントから縫製まで一貫して弊社が行ったり大手パンメーカーの販促品としてあった、特製のエプロン等を作っていました。

━そのエプロン、見たことがあります。点数を集めて交換するやつですよね。

入江

当時は主婦が自由にお金を使うことができませんでしたからね。それもあって、このようなノベルティが喜ばれたんです。このようなお仕事は、主に広告代理店からいただいていたんですが、当時は仕事の量も種類も沢山あって。おかげさまであの頃は、それらでかなり忙しくさせてもらっておりました。

━それは御社が一手に?

入江

一手ではありませんでしたが、この周りでは弊社だけでした。国内で10,000個を越える数量に対応できる設備や人材を持っている工場も当時は少なかったもので。あの頃は日本経済自体、かなり状況が良かったですからね。

━ということは今は?

入江

あの頃ほどではなくなりました。その後、徐々に産業が低迷していき、社長も先代から私に変わったんです。そこで私は原点回帰し、雑貨類をオーダーメイドで小ロットかつ短納期で作ることに力を入れることにしたんです。

━他にも御社は、社会貢献活動も行っているとお聞きしました。

西川

そうなんです。先代の社長の時代から、特別支援学校の卒業生が従事する施設等に自社のミシンをいれ、縫製の技術を伝え、仕事を依頼しています。

━そこに着眼するには何かキッカケがあったんですか?

西川

バブル崩壊後の国の方針で日本の繊維産業が中国に移行してしまったことが要因でした。結果、国内の工場の多くが倒産してしまい……。そんな中、何かよい手段が無いかを探ったんです。

━その結果……?

入江

やはり中国は人件費が安いですからね。その分、クオリティを考えなければ、かなりコストも安くできる。いつの間にかそれが主流になってしまっていて。そこに対して私どもが行ったのが、障がい者支援施設等にも仕事を依頼することだったんです。それによって人のためになり、コストも抑えられ、メイドインジャパンも維持することができる。私たちなりの社会貢献のカタチができたんです。

━御社の強味を挙げるとしたら何になるんでしょうか?

入江

小ロット・短納期の要望に応えつつ、一番はやはり作りたいイメージを汲み取るコミュニケーション能力だと思っています。正直、一時は海外工場への進出も考えました。しかし思い留まって、日本人同士であるからこそ伝わる繊細なニュアンスや表現がありますからね。それらをしっかりと汲み取る強味を活かし、この地の利を守ることを選んだんです。少なからず私の代までは(笑)。

━現在、直面している問題点がありましたら教えて下さい。

入江

国内生産を続けてはいますが、このままでは飛躍することはおろか、維持するだけで精一杯で。日本のモノづくりはそれほど切迫していると思うんです。海外との値段の比較もあり、それらは現在の日本の中小製造業の大きな問題だと考えています。このままでは衰退していってしまう。

━それを打破する何か良い方法はあるのでしょうか?

入江

やはり若い人たちの力で日本の技術を守っていくことへの意識の向上だと思います。私どもも今、そこに力を入れようとしています。これからは若い世代に縫製技術を継承してもらい、少なからずメイドインジャパンを守っていくと同時に自社商品の発信も行っていけるようにしていきたいんです。

━本日は貴重なお話をありがとうございました。モノづくりの本質を感じられる1日になりました。

INTERVIEW&TEXT:LUCKAND
PHOTO:Shogo Takiguchi

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