2018.12.15
常に居心地の良い空間を寄与するために
林和雄(渋谷クラブクアトロ店長)井上剛(渋谷クラブクアトロ副店長)
日本のカルチャーの中心地であり続ける街「渋谷」。その地にて初の大人も楽しめる本格的なオールスタンディングのライブハウスとして1988年に渋谷クラブクアトロはオープンした。今年30周年を迎える同所。街やトレンド、音楽の楽しみ方は変われど、今も昔も変わらず、幅広く様々なタイプや趣向の良質な音楽を「生(なま)」に送り出し、我々を喜ばし続けてくれている。
多くの観者や演者から一目置かれ、憧れられている同所。そのステイタスを保持し続けるには一貫して守られてきた愛されるべき理由があった。
「この渋谷クアトロは地方の学生だった自分にも「ここで働きたい!!」と思わせる何かがあった」(林)
ー林店長は以前は広島クアトロの店長をされていたそうですね?
林和雄(以下、林)
そうなんです。2017年の3月からこちらに移りました。
林和雄
ー当時、渋谷に移られていかがでしたか?
林
仕事の内容自体はそう変わらなかったんですが、正直プレッシャーは大きかったです。やはり歴史もありますからね。
ークアトロは渋谷・梅田(大阪)・名古屋・広島と全国に4店舗ありますが、各々カラーは違うものなのですか?
林
違いますね。各地収容人数も違うので、やっている内容も店舗ごとに多少異なっていて。例えば広島だと、いわゆる東名阪で言うZeppクラス(2000人~3000人規模)のアーティストさんが広島でやる際に多く使っていただいていたり。
ーそして井上副店長は、この渋谷クアトロに初期からおられたんですよね?
井上剛(以下、井上)
初年度からですね。オープンしたその年(1988年6月オープン)の年末辺りから加わりました。
ーオープン初年度を振り返っていかがですか?
井上
それこそ最初はお店に電話しかなく。FAXもないところから始めました。自分たちもですが、周りのイベンターさんやプロモーターさんも含め、みなさんと一緒にここまで作り上げてきた感があります。当時オープンした近いコンセプトの会場で、今や残っているのは川崎のクラブチッタさんぐらいですからね。今ではあの頃オープンしたこの規模のライヴハウスもほとんどなくなってしまっていて……。それはちょっと寂しい気がします。
ーオープン当初のこの渋谷クアトロとしては、何か目指していたものがあったのでしょうか?
井上
定かではありませんが、コンセプト的なものはありました。当初は比較的大人向けのライヴハウスといったイメージで。このテナントビル自体も1Fにエンポリオ アルマーニさんが入っていたりと、ビル自体が比較的大人向けな面もありましたから。
ーその頃は林さんはまだクアトロで働いては……?
林
いや、まだですね。でも広島に居た頃からクアトロには強い憧れがありました。海外アーティストも国内アーティストもライヴが行え、しかも、そうそうたるアーティストがライブを行っていて、それをわりと近い場所で観れる。どこか他のライヴハウスとは一線を画していた印象があって。ホント憧れの場所でした。なので、「2001年に広島にクアトロが出来る」と聞いた際には、働きたくて真っ先に応募したんです。
ーこの渋谷クアトロに際するこれまでの歴史的な流れはいかがですか?
井上
その時代時代の流れに合った音楽ジャンルと共に遍歴があった気がします。今では多種多彩なアーティストさんに出演していただいてはいますが、正直、昔はブランドイメージを打ち出す為にカラーを絞っていたかもしれません。
井上剛
ー渋谷と言えば日本の情報発信地の中心ですもんね。その中で何か使命感的なものはあったりしますか?
井上
ありますね。会社がパルコですので、常に日本のカルチャーの発信源的な役割を担ってきましたから。少なからず、その辺りは自負として持っています。
ー━ビルに入っているテナントも時代と共に移り変わってきましたし、街の流れも時代毎に変わっていきました。そんな中、影響等は?
井上
それは特にはありませんでした。おかげさまで長くやってきたこともあり、それなりにアーティストさんやお客様にも認知されており、ブランド的なものがあるようで。若いアーティストさんやお客様にも、ある種憧れやステイタス的に感じていただけているようですし、それが常に引き継がれているのを実感します。それもあり、新しい試みはもちろんですが、この渋谷クアトロならではの老舗感を保ち、逆に精進していかなくちゃとも感じています。
ー確かにクアトロには、キチンと会場としてのイメージやブランディングが成されている印象があります。
井上
ありがたい話です。
ーここまで運営してきた中で何か苦しいことやツラいことはありましたか?
林
お客様が来てくださるかの心配ぐらいでしょうか(笑)。
井上
そうそう。過去には完全に仕込みが終わった後に、急遽当日になってアーテイストさんが来日できなくなって公演が中止になったこともありましたね。
ー逆にこのお仕事に携わられて、どのような歓びや冥利がありましたか?
林
憧れていたアーティストさんたちと身近に仕事が出来た時でしょうか。
ーアーティストさんとの定期的に行うライヴや会場主催のシリーズ企画ライヴ等々、クアトロにはある種の特性も感じられます。
井上
中でもシリーズとしてやっている「QUATTRO MIRAGE(クアトロ・ミラージュ)」(2010年よりシリーズ化している、ありそうで無かった組み合わせを実現してきたイベント)。これは一緒に作り上げているもう一方の主催者の方が、このクアトロでのライヴをよく観に来て下さっていて。「自分もいつか、このクアトロでこういったライヴをやりたい!!」との思いから始まっています。そのように自分の描くこの会場でのブッキングや企画等はやはり嬉しいし、思い入れ深いものがあります。「ここでこのラインナップのライヴを観てみたい!!」そんなイメージを湧かせて下さる方々がおられるのは、嬉しいのと同時に非常に心強いです。
ー分かります。アーティストさんはもとよりお客様からも憧れのステージ的なものもあるでしょうからね。
井上
ありがたいことです。ある種、この歴史は、お客様やアーティストさん、イベンターさんやプロモーターさん、企画者さんとのお付き合いの成り立ちの歴史でもありますから。
渋谷クアトロ30周年記念ライヴ期間中に出演されたアーティストたちの記念フラッグへのサイン
<NEXT 2/2>「今一度、この日本の情報発信地の中心で、渋谷クアトロの凄さをキチンと全国発信していきたい」(林)