2017.03.20

小見山峻が撮る、写真と音楽と言葉と

小見山峻(フォトグラファー)

若手の写真家が次々と登場する中でも、小見山峻の写真は異彩を放つ。散歩がすごく好きという彼は、大好きな音楽を聴きながら心地の良い風景を求めているのだろうか。彼が撮る写真には、その空間が切り取られ、その中で人が和んでいる。映像のような写真は、彼の散歩のワンシーンであり、誰かの人生の一コマを感じさせるものが多い。そしてデザインされた絵としても惹きつけられる。また、エッセイストとしての才能も発揮され、「メロディーの代わりの写真、歌詞の代わりの散文」という形での作品も創り続けている。一方で、早くからSuchmosに注目し、ライヴ写真を撮影してきたことでも知られる。深みのある写真が生まれる背景、小見山峻の視線の先にあるものを追った。

人を撮るというより、その人がいる景色を撮るという気持ちがすごく強い(小見山峻)

−小見山さんの写真といえばコレ!っていう強いポリシーはありますか?

小見山

一つは、もともとそんなに人に興味があるわけではないので、ポートレイトとか撮る時も、その人を撮るというより、その人がいる景色を撮るという気持ちがすごく強い。例えばファッションでも、“その服がどういう世界の景色にハマって、その長方形の中でどういう絵になったら面白いのかな”というのが前提としてある。あくまでも“自分が見ている景色”だと思って撮っています。ライヴを撮る時も最低限の写真は抑えますけど、でも単純に“自分が見ている景色をどうカッコよく撮ろうかな”というのが一番大きいですね。だからスタジオの撮影もできますけど、基本的にあんまりやっていない。景色がありきで必ず撮影をするので。

−撮る側の意図を強く出すというよりかは、ロケーションなど、その雰囲気作りがすごい上手。

小見山

だから、その場面なんです。僕も例えばモデルさんを撮る時に“あーしてこうして”っていうのは言わないで、なんとなく“ここはこういうテンションで撮りたい”とか、撮影のテーマ曲をつけることが多いんですけど、あとはその人なりに解釈して動いてもらう。僕は自分の長所だと思っているんですけど、自分が思い描いた景色が、例えば“こういう場所にこういう風に人がいたら面白いな”っていうのからスタートするので、最悪その人が変わっても代えが利くというか。

−誰でもいい、とか?

小見山

究極を言ってしまえば、別にそこにいる人が、その辺を歩いているお姉ちゃんだろうが、絵的には一緒だなというのがありますね。だけどもちろん、”景色”を作る上での大事な構成要素なので、作品を撮る時は撮りたい景色に適合する方を探します。”撮りたい人”っていうのは、僕にとっては、”撮りたい景色にハマる人”ですね。

−風景が好きなの?

小見山

そうですね。

−人も好きだけど、そんなでもない?

小見山

そんなでもない。被写体の種類として写真を撮りたいという気持ちが強い。だからその生命としての人ではなくて、例えば工場夜景、星、山、人、みたいな、ジャンルの中の一つという認識が強いですね。

では、あんまりポートレイトとか興味ないですか?

小見山

ポートレイトと思って、ポートレイトを撮ったことはないです。

−風景を活かす素材として撮るという?

小見山

そうですね。例えば真白い壁でその人を撮るにしても、“人”だけで考えるより、“壁と人がある”っていうそういう世界観で捉えますね。

−人から表情を引き出すということへの興味は?

小見山

ないですね(即答)。被写体からのマンパワーもありますけど、なんかそれで終わっちゃうのは嫌なんですよね。言葉が通じない人とか、全然文化圏が違う人とかが見ても、面白いって思える写真がいいなと思って。だから絵自体を面白くしたいという気持ちがすごい強くて。

−人の無名性を大事にしているという?

小見山

人とロケーションの相乗効果であってほしいんですよ。“自分が撮りたい景色に撮りたい人とかがハマって、化学反応を起こして自分の予想以上の出来になる”っていうのがあるので、それが一番自分の理想だと思っています。だから、表情にしても無表情でいて欲しいわけではなくて、その景色にハマる表情を要求したり。笑顔が合う場所じゃなければ、たとえ百万点の笑顔でも逆効果だと思ってます。その人たちを知らなくても、まず写真を見て「すごい写真だ、面白い」ってなって、その人たちに興味を持ってもらえるかもしれないし、逆にその人たちのことを知ってる人が見ても「こんな絵を見たことがない」ってなる。やっぱり悔しいんですよ、人で終わるのが。僕がオバマ元大統領を撮ったとするじゃないですか。写真を見て、「オバマの顔だ」ってなるじゃないですか。「この絵、面白い!」とは、なかなかならないじゃないですか、それが悔しくて。

−表情ではなくて、絵として見てほしいと。

小見山

そうなんです。今の時代だとInstagramとかありますけど、やっぱりみんな可愛い子の写真だけ見たりとか、僕の場合でいうとミュージシャンの写真ばっかりみんな見てるとか。その理由で見るなら、俺じゃなくてもいいわけだし。そういう見方をされると、本当に僕らの存在価値がなくなるんで、という気持ちは強いですね。

−身近な好きな人でもいいんですけど、「こんな表情が撮れたんだ!」っていう歓びを感じることはありますか?

小見山

(一瞬考えて)ないです(笑)。あぁまぁ笑顔だなというくらいで。そうですね。ほんとにないかもしれないですね。もちろん喋ってて、ちょうどいい笑顔の時にたまたまシャッターを切るタイミングが合ったなという意味で撮れたのはありますけど、う~ん、ないすね。

−普通に、人に対する思い入れとかありますか?

小見山

もちろんもちろん! ただ、被写体という場面であんまりそこまで人間に期待していないというか……。

−人がいない写真でも全然OK?

小見山

OKだと思っています。でもやっぱり人が立ったり、メイクやスタイリングで世界が広がるので、各要素としては大切です。

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